三好野本店二百年の歩み
200 years of history
三好野本店の歩み
History of MIYOSHINO
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天明元年(1781)
三好野の前身の米問屋「藤屋」が岡山の西大寺で米屋を始めました。
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天保12年(1841)
松平家の御用商人となり、津山藩の蔵元として苗字帯刀を許されました。松平家から拝領した苗字は伊原でした。
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明治3年(1870)
津山藩が廃藩となり、そのあおりで、米問屋の廃業を余儀無くされました。5代目の主人八兵衛(1845-1918)の弟雄次郎(1849-1910)が店主となりました。その後帳合浜の米穀取引所で米の仲買を始めました。
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明治7年(1874)
岡山の天瀬(京橋付近)で高級旅館「三好野」を始めました。
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明治24年(1891)
岡山駅構内で湯茶接待・弁当販売を開始しました。
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明治34年(1901)
岡山駅プラットホームの北側に洋館2階建ての支度所を開業。
支度所は後に「三好野ビヤホール」と名前を変え岡山の西洋料理店の草分けのひとつとなりました。 -
昭和33年(1958)
岡山駅前に弁当工場、レストラン・喫茶・宴会場・結婚式場を備えた「三好野会館」を建設しました。この三好野会館は、最新の豪華な設備を誇っており、その当時はもの珍しかった自動ドアも取り付けられており、開店当時は、用もないのに何度も出入りする人たちが相次ぎました。
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昭和34年(1959)
屋上にビヤガーデンをオープン。本格的なビヤガーデンとしては、西日本で第1号でした。
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昭和38年(1963)
「祭りずし」を新発売。
岡山の伝統的な料理「ばらずし」を駅弁で発売しようということになりましたが、日持ちの関係からどうしても、寿司飯の中に干瓢などを混ぜることが出来ず、ご飯の中に具の混じっている「ばらずし」と差別化するため名称を変えようということになりました。
そこで若林英治の発案により「祭りずし」と命名されました。 -
昭和45年(1970)
岡山市青江に結婚式場・宴会場・レストラン・喫茶などもつ「ニューみよしの」を建設し、弁当折詰製造工場を移転しました。
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昭和49年(1974)
倉敷市に「くらしきミヨシノ」を開設。「栗おこわ」を新発売。
中国自動車道「勝央サービスエリア(下り線)」にサービスエリアの営業を始めました。 -
昭和53年(1979)
中国自動車道「七塚原サービスエリア(下り線)」にサービスエリアの営業を始めました。
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昭和55年(1980)
岡山ターミナルホテルにメルヘンテラス「星の王子さま」を開店。岡山県勝田郡に三好野本店勝央工場を建設。
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昭和56年(1981)
あおえミヨシノに「ニューヨーク・ニューヨークあおえ店」を開店。
あおえミヨシノに、レストラン「ピカデリーサーカス」を開店。
あおえミヨシノに、ステーキハウス「凱旋門」を開店。 -
昭和59年(1984)
えきまえミヨシノに、レストラン「クィーンズエルム」を開店。
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昭和62年(1987)
えきまえミヨシノに、ステーキハウス「華」を開店。
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平成2年(1990)
岡山県総合グランド内にレストラン「キューティパィ・カフェ」を開店。
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平成5年(1993)
岡山空港内に展望レストラン「ミヨシノ岡山空港店」を開店。
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平成9年(1997)
JR倉敷駅に駅弁の売店を開店。
「ハローキティのまつりずし」を新発売。 -
平成13年(2001)
岡山市中区桑野に各種弁当・折詰製造工場を新設・移転。
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平成14年(2002)
山陽新幹線の岡山—新大阪間が開業40周年を迎えたのを機に、駅弁「三重4品目幕の内」を販売する。
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平成16年(2004)
農林水産大臣より感謝状を贈呈され表彰される。
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平成18年(2006)
「後楽園のお弁当」を新発売。
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平成28年(2016)
岡山駅前の再開発事業に伴い、三好野会館を閉館。
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令和2年(2020)
岡山駅(さんすて岡山南館)に日々食べるお弁当をコンセプトにしたhibiki屋をオープン。
掛紙の変遷
History of KAKESHI
「お弁当掛紙(かけし)」とは、お弁当を包むための飾り紙のことです。
デザインに凝ったものもあり、コレクターにも人気です。

大正〜昭和前期
全国の鉄道網が完成したことによって、交通の利便性の向上と、観光ブームの影響により、駅弁の競争が激化しました。見た目も味もこだわった豪華な駅弁が販売されるようになりました。
昭和後期〜現代
駅弁の全盛期を迎え、地元の食材を使った駅弁など、グレードアップした駅弁が数多く登場しました。駅弁は車内で食べるだけではなく、「駅弁大会」が開催されるなど、食文化の一つとして「駅弁文化」は愛され続けています。